レジュメ | 44 アメリカのシティ・ビューテイフル運動2007/05/19 1 オルムステッド(1822-1903) 1)船員、農夫、作家、冒険家、35 歳でランドスケープに関心(28 才イギリス訪問) 2)都市における自然美の主張 過密不衛生都市改善 3)オープンスペースの整備、植樹 肉体と精神の蘇生 4)景観の美しさ 都市の資産価値の増大、税収の増加 専門家の需要性 5)ニューヨークのセントラル・パークの設計(1858) 6)パークシステムの提案 ミネアポリス(1883),カンサスシティ(1885) ボストン(1890)
2 シカゴ万博(1893)とパーナム 1)1871 シカゴ大火からの復興 1893 世界コロンブス博覧会 2000万人 2)オルムステッドとパーナムが場所選定と監督 3)近代的技術と古典的な美術〔ホワイトシティ〕 4)各地に都市美団体の創立 美化団体180(1889) 公共建築の装飾 5)「 シティ・ビューティフル」と呼称 全国への呼びかけ 6)美化協会全国連盟 NLIA(1900)→ 都市美化アメリカ連盟 ALCI(1902) 7)村落美化運動(1882) 首都ワシントン計画(1902)都市美マス夕ープラン
3 都市美運動の展開 1)美化団体の急増 300(1901)→700(1902)→1740(1904)→2426(1905) 2)ダニエル・パーナム(1846-1912) シカゴ博設計監督 ギリシャ・ローマの古典様式 3)チャールズ・マルフォード・ロビンソン 美化運動の紹介『町と市の美化』(1901) 3)担い手 都市の上中竜階級の男性夫人 4)アメリカ都市協会(ACA) ACLA+アメリカ公園・野外美術教会 5)マスタープランの重要性 6)①シビッグセンター ②鉄道駅 ③広大な並木道 ④パークウェイシステム ⑤遊び場、運動場
4 都市美運動への批判 1)ベンジャミン・マーシュ(1879-1953)『表面的なお化粧を重視しすぎる』 2)ドイツの都市計画制度 (土地公有化、郊外地統制、土地税制)の紹介 3)人口過密の弊害を覆い隠す パークシステムへの大量資金投入 4)資金の使い方が富裕層。右閑階級のみを利する 5)都市美以外の計画手法の重要性 高さ制限、交通機関、地域制
5 都市美の再評価 1)1920 代 機能性、効率性への過度の傾斜 ドイツ人ヘーゲマンの都市美推奨 2)チャールズ・チーニー(1884-1943) 街路のアーケード化 質の悪いデザイン規制 田園都市運動と結合した都市像 3)市民運動への期待と討価 市民リーダーの発見、教育キャンペーン、専門家 |
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