レジュメ | 46 ニューヨークのセントラルパークと摩天楼2007/07/21 1 初期のニューヨークとセントラルパーク 1)1797型街路計画 (南北方向幅100f,東西方向幅600) 2)1807 マンハツタン島全域策定委員会 1811公表 オープンスペース7 ケ所200h 3)1851 公園取得の公園法 1853 セントラルパーク340h $ 507 万受益者負担32% 1865 人口100 万 (1811 9 万6 千) 1857 公園設計コンペ
2 オルムステッド(Fredrick Law Olmsted 1822-) 1) 土木技師、貿易業、航海士、農場経営、雑誌経営、セントラルパーク監督官(35 歳) 2)コンペ応募 カルバート・ヴォー(建築家)と協同「緑の芝原Greensward」 当選 3)都市の肺になるで円景観の創造 街路優先思想の変換 4)4 系統道路の立体交差 ①横断道路 ②馬車道 ③乗馬道 ④歩道 5)技術者集団の形成 建築、農業土木、公園、道路、暗渠排水など 6)1878 ニューヨークを去りボストンへ パークウェイシステム 7)1920 代からスポーツ施設 1960 パンダリズム→市民運動「緑の芝原」の再生
3 高さへの思い 1)バベルの塔 高さへの欲望・憧れと恐れ 2)ゴシックの尖塔 教会の尖塔 3)サンジミニアーノ 塔の街 高さの競い合い
4 摩天楼時代の可能性 1)鉄骨構造 鋳鉄→鋼鉄 2)エレベーターの発明 上下交通の革命 3)都市集中・人口密度? シンボル的意味 4)スカイラインの考え方 軒高の統一?
5 アメリカの摩天楼時代 1880 代以降 1)グリッドパターンの区画割 平等条件の確保 自由度 2)ヨーロッパでできなきこと ウールワース1912 金儲けは善 4)クライスラービル(1930) 、エンパイアステートピル(1931) 5)自然成長する都市 床面積需要よりも記号的な意味 6)新聞社の高さ競争 聖と俗の逆転 7)伝統と成長 シカゴトリビューンタワー「世界で最も美しいオフィスビル」 1922 ピルグリムズファーザーズ ライデンの家の煉瓦「新しき天と地を創りたまう地」
6 摩天楼の制御 1)エドワード・パセット 弁護士、下院議員 ドイツ視察 2)ニューヨーク 建築物高度委員会1913 1916 最終報告、ゾーニング条例 3)ウエディングケーキ型ビル クライスラ一、エンパイアステート |
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