レジュメ | Ⅳ 都市問題への対応〔西欧〕——都市思潮①(第二次大戦まで) 38 オスマンのパリ都市改造2006/10/21
1 オスマンの都市改造とは何であったか 1)最後のバロック都市計画、皇帝の権威 ベルサイユ都市計画との差 2)市民の叛乱への対策 パリコミュユーンの鎮圧 3)近代都市への対応 都市の機能化、美化、衛生化、民衆の利便,福祉、
2 第二帝政までのパリ 1)ガリア人 パリジィ人 シテ島 2)6 つの城壁 ①ローマ人(Ⅲ)、②ユーグ・カペー(XI)、 ③フィリップ・オーギュスト(1190−1213)、④シャルルⅤ (1356−1368) 、 ⑤ルイXⅢ(17-18 世紀)、⑥徴税請負人の柵(1784-1791) ⑦ティエールの城壁(1841−1845)1922まで 3)オスマン前 ブールバール、シャンゼリゼー(1724-) ,コンコルド広場 4)ナポレオン 凱旋門(1807−1837) 、運河、上水、下水、照明、舗装
3 ナポレオン三世とオスマン 1)ナポレオン三世 1808 生まれ1815 亡命 (ボナパルト家追放) 叛乱、投獄、脱出 1849 大統領 51 皇帝(自由主義帝政) 53 オスマンの任命(セーヌ県知事) パリ省 2)オスマン 1809 生まれ 弁護士 行政官 3)二人の関係 ①皇帝(イギリスでの生活、色鉛筆、構想家、実務派?) ②オスマン(執行官,総合プロデューサー、技術屋の組織化)
4 パリ大改造計画(オスマニザシオン) 1)人口の増加 55 万(1801) 78 万(31)105 万(51)170万(61,20区)199万(81)271万(01) 2)総合調整 目標へ向けてバランスの取れたまとまり(オーケストラの指揮者) 3)再開発、都市の外科手術 不良地区整理、土地収用法(周辺を含む買収)
5 改造計画の内容 1)大街路 3 本の大街路(大十字路 要所の連結 市内と周辺連絡 2)エトワール広場 12 本の街路 皇后道路(幅120m) 市民憩い+歴史的記念 3)上水道(ヴァンヌ渓谷1875 完成) 下水道(107k→560k)分流式 4)街灯 光の都市、歓楽の都市 ガス灯9000(30)→23325(69) アーク灯(81) 5)公園(parc) ブローニュの森 ヴァンセンヌの森 辻公園(square) 6)都市施設 中央市場(レ・アル) (54−66) オペラ座(1861-1875)
6 オスマンの評価 独断専行、秘密主義、容赦なき破壊 1)資本主義時代の都市の近代化 第一回万博(1855) 第二回万博(67)入場1100 万 2)市民生活の向上 3)交通の利便性向上 街路、鉄道 4)総合演出 生産的支出論(入市税) パリ公共土木事業金庫 |
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