レジュメ | 54 東京市区改正条例2008.7.19
1 東京市区改正条例の制定までの経緯 1)東京市区画定之問題 松田道之東京府知事 2)プロジェクト主義 銀座煉瓦街、秋葉原の形成1872、中央官庁街計画 3)基本的街区整備 籠時代→車両時代 カイセイ(改正) 道路 防衛→利用 4)東京市区取調委員会(松田知事)府5 人、民間5 人 田口卯吉の意見(築港) 5)市区改正審査会発足 14 委員(中央省庁、東京府、警視庁+民間人2 名) 6)手本にしたのはオスマンのパリ大改造計画 東京をパリにする 7)東京市区改正条例案 元老院提出1888.3 加藤弘之の反対意見 廃案
2 東京市区改正条例の制定 1)勅令で制定1889 (明治22) 内務大臣山縣有朋を動かす 2)1884: 芳川顕正の意見書「意フニ道路河川 ハ本ナリ水道家屋下水ハ末ナリ」 3)「家屋建築条例」 妻木頼黄 立ち消え 4)1881: 松田知事「防火路線並ニ屋上制限規則」都心3 区の街路沿いの不燃化 5)「土地建物処分規則」 1888 公用土地買上規則=地券価格で買収 残地収用 超過収用 (政府は消極的) =パリオスマンの知恵 6)国家事業か自治の事業か?市区改正委員25 名中東京10 人、 内務大臣に具申→内閣の認可→東京府知事の公告 他計画の制限 タテワリ街路建設へ傾斜→土木技術の支配
3 東京市区改正計画 1)財源 ①官有河岸地の下付 ②特別税 i 付加税(地租・家屋・営業及雑種) ⅱ清酒税(製造、搬入) :入府税 ③公債 特別税で返還 2)芳川意見書の付図 道路・鉄道・河川 = 運輸施設 最大幅道路 15 間 3)東京府市区改正審査会(会長芳川) 民間人も入る パリ大改造を目指す 4)「 旧設計」の決定: 1889.3 5 月内閣の認可 道路・河川・鉄道・橋梁・公園・市場・墓地・火葬場(日比谷公園を含む) 東京15 区の範囲を超え決定 街路20 間 上下水道・築港・市街鉄道は見送り 5)「新設計」 1903 必要な街路に限定 市街鉄道(路面電車1884) に対応 6)電鉄事業からの納付金(法定財源の56%) 123 路線、延長175 キロ1918 完成
4 他都市への準用 1)大阪市 碁盤の目の計画 道路幅6mX7.3m 路幅整理事業(軒切り) 1871 「道路ヲ狭隘ナラシムル可ラサル件」大阪府布達 1889 「大阪新設市街地設計書」 建築家山口半六に依嘱 市街地拡張に備える 1911 「大阪市区改正に関する意見書」大正初め好景気のしわ寄せ 2)「東京市区改正条例」大阪・京都市に準用 同年9 月、横浜・名古屋・神戸に準用 |
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